信じることは
今日の下校途中の野猿街道で、店から出てきたトラックに、横から走ってきたピザ屋のスクーターがトラックの側面に追突しているのを見つけた。
野猿街道でバイク事故を目撃したのは入学以来4回目である。
誰が、エンジンに火を入れて、ステアリングを握った瞬間から「今日俺は死ぬんだ」と思うだろうか。
しかし実際は、そう思わないやつからこの世から消えていくだろう。
現にさっきの事故だってガレージから出た瞬間に起こった。
今まで車、バイク、自転車、徒歩で事故ったことがないから、今日も事故らないなんて誰が保証してくれるのだろう。
そしてそれをなぜ信じられるのだろう。
かのアイルトン・セナのマシンはクラッシュをする1つ手前のコーナーまでハンドル操作もブレーキングもいつもと変わらなかった。
それが100m先のコーナーで操作不能になるだなんて誰が思うのだろうか。
「さっきの交差点で減速して右折したから次の交差点の右折も大丈夫だ」、なんていったい誰が保証するのか。
そこには万が一なんていう言葉はない。
あるのは起ってしまったというそのただ一つの事象だけである。
自転車のサドルに座る、ニュートラルから1速に落とす、シートに座りステアリングを握る。
そして「今日、俺は死ぬ。死ぬのが怖い。」と思っている奴ほど、また無事にガレージに戻ってくるのかもしれない。
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