歩き方だけ正してもいいかな
駅のホームに立ち電車を待っていると隣に男がやってきた。どうせ会社帰りか何かなのだろう。痩躯、青白い肌に、薄汚い灰とも濃紺とも見分けのつかない浴衣を着ている。足元にはビーチサンダル。おもむろに懐からニンテンドーDSを取り出す。周りには花火帰りであろうと思われる、疲れた背広を着た中年の男が多い。
私は短い足にジーンズ、革靴にワイシャツ。猿真似だ、笑われてしまうだろう。金閣寺や雅楽を全く知らず、エッフェル塔とブルースを知った気でいる。
二葉亭四迷が述べたように、小説は文体が命で.........................というのはどうでもいいのだが。
伝統など、そのようなものは欺瞞が多い。
昔、日本で行われていたことは、日本にとって本来の姿とは全く無関係であるように思える。
和服は日本人に体格、美しさに合うから開発されたものであろうか。
恰幅のいい外人が着たワフク姿の方がよっぽど様になる。
他人が浴衣を着ようが、洋服を着ようが、アフリカだかの民族衣装を着ようが、何も着まいが私には全く関係ない。
しかし、浴衣なら浴衣の歩き方、洋服なら洋服の歩き方があるはずだ。
浴衣でドカドカと歩く人間を見ると幻滅する。
歩くという基本の事柄ができないようでは、どうにもならない。
結局そのような伝統なぞ滅亡する運命なのである。
営業するときは背広、運動するときは運動着、世の中の決まりでしかない。が、決まりだ。
花火は浴衣、成人式は女性は着物、男性は背広。たかが決まりだ。
歩き方だけ直せば、後はどうでもなんでもいい。勝手に何でも着てください。
しかし成人式において男性は紋付袴を履かないのか不思議だ。
調べれば興味深い哲学的解釈が潜んでいるかもしれない。
余談であるが、私は抹香のにおいと、花火のにおいと、ブラックデビルココナッツ(煙草)のにおいが大嫌いである。勘弁してほしい。
ちなみに好きなにおいはガソリン。
おわり
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